2006/02/16

雨が降る

一昨日、昨日に引き続き今日も雨が降っている。わたしは雨は好きだ。いつだって空を見上げて雨粒が顔に当たれば、両手を広げその場でタップのステップを踏みたくなる。もちろんタップなんて踏もうにも踏めやしないのだけど、わたしの頭の中では軽々と踏み鳴らしているわたし自身が見える。そこでわたしは高速で回転していたりもする。あ、この部分『雨に唄えば』の剽窃です。

いや。踊ったりしないでその場をじっと動かず、雨をこの顔面全体で受け止めるのもいい。冬の初めに射止めた大きなクマの内臓の輪切りを炭火で炙ってそれにジュッと醤油を垂らして食べるのを想像しながら身体を包む衣服が水を含んでだんだんと重く冷たくなってゆく過程をじっくり味わうのだ。あ、この部分『タンポポ』の剽窃です。

でもクルマの窓ガラスが内側から曇るのはなぜだろう。横の窓ガラスがすっかり曇ってしまうと危ない気がする。それにあの凝結している水分はひょっとして雨なのじゃないかと思う。ということはこのクルマ雨漏りしていることになるのだけど。あ、彼もわたしと同じで雨が好きなのだな。


先月このブログで取り上げた Firefox のことで少し進展があった。

わたしの Firefox でもテーマの変更ができたのだ!

つまりMacのせいじゃなかったのだ。今になってみればそりゃそうだろうと思う。やはりMac使いのニエさんに尋ねてみるとあっさりテーマ変更できたうえに、こりゃいいわー、などとのたまうのでわたしもつい本気になってしまったのだ。

で、本気になったわたしがどうしたかというと、

~/Library/Application Support/Firefox

というフォルダを捨てて Firefox を再起動させたのだ。それだけ。

その状態であっさりとテーマの変更も拡張機能のインストールもできるようになった。わたしが本気出せばこんなものということだ。

Firefox の設定は再起動することで新たにつくられた

~/Library/Application Support/Firefox/Profiles/*****.default/prefs.js

にあるのだけどこのファイルを直接編集するなとこのファイルに書いてある。
このファイルについては、Firefox から アドレスバーに about:config として出てくる画面からその各項目設定値を一覧できる(項目をcontrol+クリックで直接編集もできる模様)。このファイルの設定を編集するには、

~/Library/Application Support/Firefox/Profiles/*****.default/user.js

~/Library/Application Support/Firefox/Profiles/*****.default/chrome/userChrome.css

~/Library/Application Support/Firefox/Profiles/*****.default/chrome/userContent.css

というファイルを(なければ)つくってそれに編集項目を記述することで間接的に行うようだけど、使い方がよくわからない。Cacheフォルダを変更したいのだけどできてないのだ。なんでだろ?

とりあえずリンクを示す下線を消したいわたしは、

a:link{text-decoration:none !important;}
a:visited{text-decoration:none !important;}
a:hover{text-decoration:none !important;}

の3行を userContent.css に記述しています。


しかしそれまでテーマの変更ができなかった理由はまったくわからない(もういいですw)。

今のところお気に入りのテーマは Noia2.0 。拡張機能は Google Toolbar for Firefox が便利そうです。とはいえ、いまだその恩恵にはあずかっていないのですが。やっぱし必要がないものは使わないということですねw

2006/02/12

そのトリプルに戦慄せよ~映画『噂の娘』(1935)~

1935年と言えば、成瀬巳喜男が松竹撮影所長城戸四郎のひとことで松竹から東宝の前身・新興のP.C.L.に移った年だ。その年成瀬は『乙女ごころ三人姉妹』『女優と詩人』『妻よ薔薇のやうに』『サーカス五人組』そして『噂の娘』と5本の映画をP.C.L.で撮ることになる。去った松竹で撮った作品がすべてサイレントであったのに対し、トーキー技術の下請け会社であった「写真化学研究所」が自社製作を始めて興した映画会社であるP.C.L.で撮るものがすべてトーキーであることは、当然のこととはいえ、何かしら好対照をなしていると思える。

で、今回は『噂の娘』を観てきた。

<あらすじ>
灘屋酒店は先代の啓作(汐見洋)と、そこに婿入りした健吉(御橋公)、そしてその二人の娘、古風で物静かな姉・邦江(千葉早智子)とモガ気取りの妹・紀美子(梅園龍子)の四人家族からなるその界隈では名の知れた老舗だった。しかし啓作は朝から店の酒を利きつつ三味線をつま弾き、紀美子は連日のように街で遊びまわる日々を過ごしていて、店は健吉と邦江で切り盛りしていた。しかし最近どうも経営が思わしくない。健吉にはお葉(伊藤智子)という妾がいて、彼女に小料理屋をやらせていたがそこもたたませざるを得ない状況だった。そして実は妹・紀美子はお葉のこどもだった。お葉を家に入れ紀美子と一緒に暮らせるようにしたいと思う邦江は資産家の息子・新太郎(大川平八郎)との縁談に乗り気だった。邦江は妹・紀美子をともなって叔父(藤原釜足)を仲立ちに新太郎とのお見合いに臨んだが、後日新太郎側から受けた回答は邦江ではなく妹の紀美子を嫁に欲しいというものだった。邦江の心情を慮ってその縁談を断ることにした健吉だったが、そのとき紀美子と新太郎は街中でたまたま出会ったのを折りにすでに仲良くなっていた。それを知った健吉は紀美子に、紀美子の母親はお葉であることを告げ、邦江に謝るよう命じる。いきなりのそんな告白に紀美子は反発し、家を出ようする。その矢先、数名の警官が灘屋を訪れる。苦しい経営をなんとかしようと健吉は酒に細工をして販売していたのだ。警察署に出頭する健吉は灘屋向かいの床屋の玄関先で佇む啓作に謝る。啓作に歩み寄る邦江に啓作は、これでいい。これからわが家はよくなるさ、と慰める。ただ屋号が変わるだけだよ、と。

冒頭、灘屋の向かいにある床屋の主人(三島雅夫)が客のヒゲをあたりながら、灘屋が経営不振であることを客に話して聞かせている。そして物語の最後に同じ床屋の主人が灘屋の看板を見上げて今度は何屋になるかなあと腕組みしながらつぶやく場面で終わる。これなんかはありがちな例だけど、成瀬巳喜男はずいぶんと対称性にこだわる監督だと感じる。前回『夜ごとの夢』でも指摘したシーンのつなぎに対する執着もこの対称性好みに由来するものなのかもしれない。

今回『噂の娘』でしびれてしまったのは、婿側の意向を藤原釜足が御橋公に伝えた帰り道に妹の梅園龍子に出会す場面だ。右手からエキストラの通行人がひとり歩いてくるショットに続いて、藤原釜足がやはり右手から歩いて来るショット、それに連続して今度は梅園龍子が右手から歩いて来るショットが続くのだ。同じ構図の言わばトリプル・ショットを目にして軽くパニックに陥ってしまう。何事が起きたのかと茫然として整理のつかぬ間にはやスクリーン上では梅園が藤原におこづかいをねだっているのだが、その頃になってようやく今自分はとんでもないものを観てしまったのかもしれぬなどと戦慄することができたのだった。

ふうう


PS
計り売るために店内に備えてある樽から酒を注ぎ出す場面が2度ばかし出てくるのだけど、樽から出る酒が栓をもつ千葉早智子の手にびしょびしょと降りかかっていた。なぜか強く印象に残ってます。



<参考サイト>
・東宝年代記1932-1939
・ある日常化された「奇跡」について

2006/02/07

コメントをまとめる

父郎さんも仰っておられますが、mixiはかなり面白いかもしれません。人と言葉を交わしたり人の会話を読むのは面白いんです。

すると自然と自分がコメントする機会も増えるわけでして。
そんなとき便利なものに出会いました。


きっかけは次のサイトでした。

clmemo@aka

自分のコメントを管理しようということです。

今まではいちいち自分のコメントをサイト別に分けてコピーしておいたりしたのですが、ふと気づくと忘れていたり怠けていたり諦めていたりで、そういや最近はちっとも記録してなかったりします。そこへこの記事が目に飛び込んだのだから、渡りに船というか喉もとやっと過ぎたのにというか、ともかく興味を引かれました。

ここで提案しているコメント管理法は3つあります。

1 コメントしたサイトをブックマークする。
2 コメント予定のサイトをブックマークする。
3 コメント自体をまとめておく。

コメントを手元に置いておきたい感じのわたしとしてはもちろん3の方法を取ることになりますが、それはcoCommentというサイトで一括管理するというものです。

で、それに関する日本語の記事として、

POLAR BEAR BLOG/CoComment -- ブログのコメント管理ツール

を参考にさせていただいたのですけど、その記事についたコメントの中でt_fukuriさんという方が「まるこめ君」というcoCommentに似たコメント管理cgiがあることを仰っている。それにアキヒトさんがレスして、

ComCom/まるこめ君設置ガイド

をガイドしてくれているのでした(汗;

というわけでわたしはこれを利用させてもらうことにしました。
設置はここに書いてあるとおりでいいのですが、Jcode.pmは、

Jcode.pm - jcode.pl の後継、Encode.pm への架け橋

の中程にある、「Tarballを直接入手」の項目の中、2.のdownloadを実行してそれを解凍し、その中のJcode.pmをそのまま利用すればいいようです。

生成したBookmarkletはJavascriptのコードですがSafari以外では使えないかもしれません。

いい感じですよ♪
いひひひと笑っちゃう快適さです。

でもこのまるこめ君、ずいぶん以前からあったのですね。

PS
このまるこめ君をいくつか設置しておけば気になるあの人のコメントも記録しておけるというものです。

2006/02/06

映画『夜ごとの夢』(1933)

昨年は成瀬巳喜男の生誕100周年だったとかでNHKはじめ各地のフィルムセンターで作品上映が相次いだ。その余波がここ広島にも及ぶにいたり、広島市映像文化ライブラリーでは今月と来月の2ヶ月にわたり「成瀬巳喜男監督特集」が催される。上映日は金土日の週末に集中してるし鑑賞料も370〜500円ぐらいだからわたしもできるだけ出かけたいと思う。

で、今回は『夜ごとの夢』を観てきた。これは成瀬巳喜男が小津と同じ蒲田撮影所にいた頃撮影したサイレントだ。

<あらすじ>
おみつ(栗島すみ子)は船員相手のカフェーバーで女給をしながら小さな坊やとふたりで暮らしている。隣の部屋には親切な夫婦(新井淳と吉川満子)がいてなにかと助けてくれていた。そんなある日、出て行ったはずのおみつの夫(斎藤達雄)が帰ってきた。三人一緒に暮らすために夫は職を探すのだがなかなか見つからない。アテにしていた隣の夫の口利きもうまくいかず、自己嫌悪する夫とそんな夫を励ますおみつ。そんなとき坊やが車にはねられてしまう。坊やの命に別状はなかったが、入院治療させるためには早急に金の工面をしなければならなくなる。友人に金を無心すると言って出かけた夫は実は泥棒を働いてしまい、逃げる際警備員に腕を撃たれ、警官たちに追われながらもなんとか部屋に帰ることができたが、それと見破ったおみつは夫に自首を強く勧める。首肯して部屋を出た夫はしかしそのまま海に身を投げる。翌日そのことを隣の夫から知らされたおみつは海岸に駆けてゆく。部屋に帰ったおみつは夫の弱さを嘆いて夫が書き記した遺書と思しき紙片を食い千切るのだった。

冒頭、おみつはひとり旅から帰ってくるのだが、しかもそれは11日間にも及ぶ旅だったようなのだが、その旅の詳細についてまったくその後触れられることはない。原作は成瀬巳喜男で脚色に池田忠男。池田忠男は『突貫小僧』(1929)をはじめに『長屋紳士録』(1947)に至るまで小津の脚本を何本も手がけている松竹の人だが成瀬巳喜男と組んだのはこれの他には『押切新婚記』(1930)があるだけだ、などということを調べてもその理由はわからない。ただ、おみつが留守にしていた間坊やの世話は隣夫婦がしていたことらしいこと、そのお礼のためにおみつはお金を必要としていたこと、おみつはそのお金をバーの女将(飯田蝶子)にねだるが断られ、それを盗み聞きしていたどこぞの船長(坂本武)がその金を貸そうと申し出ておみつはそれを借りてしまうこと、などが順次描かれるから物語発動のきっかけにはなっている。

この物語がなにかの連続ものの一部などではないと仮定して唯一考えられる旅の理由は、いなくなった夫を捜しに出かけた旅だった、というものだが、だとしたらそれは何という徒労と皮肉に満ちた旅であったことか。おみつが留守にしている間その夫が何度も部屋を尋ねてきたことが隣夫婦(彼らはその男がおみつの夫だったとは知らなかった)によって告げられ、しかも夫自身の口からは未練がましくもその部屋の近くをずっとうろうろしていたと教えられるからだ。そしてその後その旅ゆえにそれでなくとも苦しい生活がいっそう逼迫したものとなるのだから。

だとすればつまり、この物語の主人公であるおみつはその最初から徒労と皮肉をその小さな肩に背負わされてスクリーンに登場していることになる。このあたりが成瀬巳喜男なのか。

しかしおみつは生きるのにどん欲だ。しかもそのどん欲さは儚いと言うより拙いそれとして描かれる。最後、夫の遺言を食い千切るあたりがそれだ。つまり決して賞賛されるべきものとして描かれているのではなく、むしろあきれるべきものとして描かれているように思える。このあたりが成瀬巳喜男なのか。

いやいや、こうした物語的要素以上に特筆すべき点がこの作品にはある。
この作品は、カットのつなぎに極めてこだわりをもっている、ということだ。

見たこともないような速度でのトラックアップによるつなぎもスゴイけど、キューブリックが『2001年宇宙の旅』(1968)の中で見せた、類人猿の投げ上げた骨が宇宙船になる、あのつなぎを、斎藤達雄が投げ上げた果物が野球のボールになることで同じようにやってみせているのだ。これには驚いたなあ。それとヒッチコックが『ロープ』(1948)でやっている、人物がカメラにぶつかるほどに近づいて暗くなるカットからカメラから離れてゆく背中のカットへとつなげる、あのやり方もここに見られる。その他にもあざといほどにあれやこれややっているのだ。このあたりも成瀬巳喜男なのか。

その後に撮られることになる『めし』(1951)、『山の音』(1954)、『乱れる』(1964)などではまったく気づかなかった成瀬巳喜男がここにいた。


PS
やっぱし斎藤達雄は素晴らしい。ここでの彼は特に素晴らしい。彼が出てくるとその途端、スクリーンに色気が立ちこめる。その後の成瀬作品になくてはならない森雅之、上原謙らにつながる素晴らしきダメ男の嚆矢となる俳優だね♪