2005/12/31

備えよ。そしてまん中だけを見続けよ

昨日はこれまでも何度か寄らせてもらっている共生庵で餅つきを初体験させていただいた。共生庵の空は昨日もきれいに晴れていた。

餅つきとは、言うまでもなく、石臼に入れられた蒸した餅米に向けて杵を振り下ろすことを連続して行うこと、だ。そうすると餅米が餅になる。餅はうまい。

その餅つきについて今回初めて知ったポイントがいくつかあった。
ひとつめは杵を振り上げる前に杵先を使って餅米をよくこねること。それをしないでいきなり杵をつき始めると餅米が辺りに飛び散ってしまい、周りでお餅のつき上がるのをわくわくして待っているみんなの顔が餅米だらけになる。蒸し上がったばかりの餅米は直接触れないぐらい高温だから危ないのだ。
もうひとつは杵をちゃんと臼の窪みに振り下ろしてやること。間違って杵が臼の角に当たってしまうと木製の杵は傷つき、そこから木片が剥がれ、それがついた餅に混入しまう。わたしだとて木片入りのお餅は口にしたくない。

書くと簡単だけど、やってみるとこれが結構難しい。
最初のこねはかなり力を要するし、臼の周りをくるくるくるくる回りながらこねるので目がまわりそうになる。でもこれは体力的な問題なのでまだいい。杵を臼の角に当てないように振り下ろすのが難しい。先が不安定な形をしていてその上重くて長い棒を正確に操作するのは考えただけで難しい。

そういえば餅つきに限らず、わたしの視線は移ろいがちだよなあ、と思う。これをしようと決めたのに時間が経つといつのまにかそんなことを忘れている。こんどはあれだと別のことを目指している。でもそれだって長続きしない。次はまた新しいあっちを見ている。