2006/02/06

映画『夜ごとの夢』(1933)

昨年は成瀬巳喜男の生誕100周年だったとかでNHKはじめ各地のフィルムセンターで作品上映が相次いだ。その余波がここ広島にも及ぶにいたり、広島市映像文化ライブラリーでは今月と来月の2ヶ月にわたり「成瀬巳喜男監督特集」が催される。上映日は金土日の週末に集中してるし鑑賞料も370〜500円ぐらいだからわたしもできるだけ出かけたいと思う。

で、今回は『夜ごとの夢』を観てきた。これは成瀬巳喜男が小津と同じ蒲田撮影所にいた頃撮影したサイレントだ。

<あらすじ>
おみつ(栗島すみ子)は船員相手のカフェーバーで女給をしながら小さな坊やとふたりで暮らしている。隣の部屋には親切な夫婦(新井淳と吉川満子)がいてなにかと助けてくれていた。そんなある日、出て行ったはずのおみつの夫(斎藤達雄)が帰ってきた。三人一緒に暮らすために夫は職を探すのだがなかなか見つからない。アテにしていた隣の夫の口利きもうまくいかず、自己嫌悪する夫とそんな夫を励ますおみつ。そんなとき坊やが車にはねられてしまう。坊やの命に別状はなかったが、入院治療させるためには早急に金の工面をしなければならなくなる。友人に金を無心すると言って出かけた夫は実は泥棒を働いてしまい、逃げる際警備員に腕を撃たれ、警官たちに追われながらもなんとか部屋に帰ることができたが、それと見破ったおみつは夫に自首を強く勧める。首肯して部屋を出た夫はしかしそのまま海に身を投げる。翌日そのことを隣の夫から知らされたおみつは海岸に駆けてゆく。部屋に帰ったおみつは夫の弱さを嘆いて夫が書き記した遺書と思しき紙片を食い千切るのだった。

冒頭、おみつはひとり旅から帰ってくるのだが、しかもそれは11日間にも及ぶ旅だったようなのだが、その旅の詳細についてまったくその後触れられることはない。原作は成瀬巳喜男で脚色に池田忠男。池田忠男は『突貫小僧』(1929)をはじめに『長屋紳士録』(1947)に至るまで小津の脚本を何本も手がけている松竹の人だが成瀬巳喜男と組んだのはこれの他には『押切新婚記』(1930)があるだけだ、などということを調べてもその理由はわからない。ただ、おみつが留守にしていた間坊やの世話は隣夫婦がしていたことらしいこと、そのお礼のためにおみつはお金を必要としていたこと、おみつはそのお金をバーの女将(飯田蝶子)にねだるが断られ、それを盗み聞きしていたどこぞの船長(坂本武)がその金を貸そうと申し出ておみつはそれを借りてしまうこと、などが順次描かれるから物語発動のきっかけにはなっている。

この物語がなにかの連続ものの一部などではないと仮定して唯一考えられる旅の理由は、いなくなった夫を捜しに出かけた旅だった、というものだが、だとしたらそれは何という徒労と皮肉に満ちた旅であったことか。おみつが留守にしている間その夫が何度も部屋を尋ねてきたことが隣夫婦(彼らはその男がおみつの夫だったとは知らなかった)によって告げられ、しかも夫自身の口からは未練がましくもその部屋の近くをずっとうろうろしていたと教えられるからだ。そしてその後その旅ゆえにそれでなくとも苦しい生活がいっそう逼迫したものとなるのだから。

だとすればつまり、この物語の主人公であるおみつはその最初から徒労と皮肉をその小さな肩に背負わされてスクリーンに登場していることになる。このあたりが成瀬巳喜男なのか。

しかしおみつは生きるのにどん欲だ。しかもそのどん欲さは儚いと言うより拙いそれとして描かれる。最後、夫の遺言を食い千切るあたりがそれだ。つまり決して賞賛されるべきものとして描かれているのではなく、むしろあきれるべきものとして描かれているように思える。このあたりが成瀬巳喜男なのか。

いやいや、こうした物語的要素以上に特筆すべき点がこの作品にはある。
この作品は、カットのつなぎに極めてこだわりをもっている、ということだ。

見たこともないような速度でのトラックアップによるつなぎもスゴイけど、キューブリックが『2001年宇宙の旅』(1968)の中で見せた、類人猿の投げ上げた骨が宇宙船になる、あのつなぎを、斎藤達雄が投げ上げた果物が野球のボールになることで同じようにやってみせているのだ。これには驚いたなあ。それとヒッチコックが『ロープ』(1948)でやっている、人物がカメラにぶつかるほどに近づいて暗くなるカットからカメラから離れてゆく背中のカットへとつなげる、あのやり方もここに見られる。その他にもあざといほどにあれやこれややっているのだ。このあたりも成瀬巳喜男なのか。

その後に撮られることになる『めし』(1951)、『山の音』(1954)、『乱れる』(1964)などではまったく気づかなかった成瀬巳喜男がここにいた。


PS
やっぱし斎藤達雄は素晴らしい。ここでの彼は特に素晴らしい。彼が出てくるとその途端、スクリーンに色気が立ちこめる。その後の成瀬作品になくてはならない森雅之、上原謙らにつながる素晴らしきダメ男の嚆矢となる俳優だね♪