2006/02/12

そのトリプルに戦慄せよ~映画『噂の娘』(1935)~

1935年と言えば、成瀬巳喜男が松竹撮影所長城戸四郎のひとことで松竹から東宝の前身・新興のP.C.L.に移った年だ。その年成瀬は『乙女ごころ三人姉妹』『女優と詩人』『妻よ薔薇のやうに』『サーカス五人組』そして『噂の娘』と5本の映画をP.C.L.で撮ることになる。去った松竹で撮った作品がすべてサイレントであったのに対し、トーキー技術の下請け会社であった「写真化学研究所」が自社製作を始めて興した映画会社であるP.C.L.で撮るものがすべてトーキーであることは、当然のこととはいえ、何かしら好対照をなしていると思える。

で、今回は『噂の娘』を観てきた。

<あらすじ>
灘屋酒店は先代の啓作(汐見洋)と、そこに婿入りした健吉(御橋公)、そしてその二人の娘、古風で物静かな姉・邦江(千葉早智子)とモガ気取りの妹・紀美子(梅園龍子)の四人家族からなるその界隈では名の知れた老舗だった。しかし啓作は朝から店の酒を利きつつ三味線をつま弾き、紀美子は連日のように街で遊びまわる日々を過ごしていて、店は健吉と邦江で切り盛りしていた。しかし最近どうも経営が思わしくない。健吉にはお葉(伊藤智子)という妾がいて、彼女に小料理屋をやらせていたがそこもたたませざるを得ない状況だった。そして実は妹・紀美子はお葉のこどもだった。お葉を家に入れ紀美子と一緒に暮らせるようにしたいと思う邦江は資産家の息子・新太郎(大川平八郎)との縁談に乗り気だった。邦江は妹・紀美子をともなって叔父(藤原釜足)を仲立ちに新太郎とのお見合いに臨んだが、後日新太郎側から受けた回答は邦江ではなく妹の紀美子を嫁に欲しいというものだった。邦江の心情を慮ってその縁談を断ることにした健吉だったが、そのとき紀美子と新太郎は街中でたまたま出会ったのを折りにすでに仲良くなっていた。それを知った健吉は紀美子に、紀美子の母親はお葉であることを告げ、邦江に謝るよう命じる。いきなりのそんな告白に紀美子は反発し、家を出ようする。その矢先、数名の警官が灘屋を訪れる。苦しい経営をなんとかしようと健吉は酒に細工をして販売していたのだ。警察署に出頭する健吉は灘屋向かいの床屋の玄関先で佇む啓作に謝る。啓作に歩み寄る邦江に啓作は、これでいい。これからわが家はよくなるさ、と慰める。ただ屋号が変わるだけだよ、と。

冒頭、灘屋の向かいにある床屋の主人(三島雅夫)が客のヒゲをあたりながら、灘屋が経営不振であることを客に話して聞かせている。そして物語の最後に同じ床屋の主人が灘屋の看板を見上げて今度は何屋になるかなあと腕組みしながらつぶやく場面で終わる。これなんかはありがちな例だけど、成瀬巳喜男はずいぶんと対称性にこだわる監督だと感じる。前回『夜ごとの夢』でも指摘したシーンのつなぎに対する執着もこの対称性好みに由来するものなのかもしれない。

今回『噂の娘』でしびれてしまったのは、婿側の意向を藤原釜足が御橋公に伝えた帰り道に妹の梅園龍子に出会す場面だ。右手からエキストラの通行人がひとり歩いてくるショットに続いて、藤原釜足がやはり右手から歩いて来るショット、それに連続して今度は梅園龍子が右手から歩いて来るショットが続くのだ。同じ構図の言わばトリプル・ショットを目にして軽くパニックに陥ってしまう。何事が起きたのかと茫然として整理のつかぬ間にはやスクリーン上では梅園が藤原におこづかいをねだっているのだが、その頃になってようやく今自分はとんでもないものを観てしまったのかもしれぬなどと戦慄することができたのだった。

ふうう


PS
計り売るために店内に備えてある樽から酒を注ぎ出す場面が2度ばかし出てくるのだけど、樽から出る酒が栓をもつ千葉早智子の手にびしょびしょと降りかかっていた。なぜか強く印象に残ってます。



<参考サイト>
・東宝年代記1932-1939
・ある日常化された「奇跡」について