2006/03/03

その運動に驚愕せよ ~映画『めし』(1951)~

映画『めし』は2月19日に映像文化ライブラリーで見てきた。

といってもそのときが初見ではなく、それまでにもテレビや録画テープとかで何度か見たことはあったのだ。それで原節子主演のどうということもない夫婦もの、というのがそれまでの大まかな印象だった。

しかし、このところ同所で開催中の成瀬巳喜男監督特集を利用して未見の作品を見てきたからか、その印象が今回の再見ではまるで違ったものに取って代わってしまった。

それは人物の移動と身体の運動という思わぬ慌ただしさが計算された緻密によってどうということもない静謐として提示され記録されているという驚愕すべきフィルムだった!



<あらすじ>

親(山村聡と長岡輝子)から勧められた縁談がいやで家出をしてきたと言う娘・島崎雪子は東京から叔父夫婦(これが上原謙と原節子)を尋ねて大阪までやって来る。

原は自分の顔を見るたびに「腹が減ったなあ」という上原との生活に疑問を持ちつつあったが、突然現れ大阪でぶらぶらするばかりの姪の島崎にやにさがる上原を見るにつけそんな思いが次第に募っていく。

大阪で開かれた同窓会が終わって、喫茶店で同窓生のひとりと名残を惜しんでいた原は、体調を崩したのを理由に東京から大阪の実家へ帰ってきていたいとこの二本柳寛とその妹に出会う。いまだ独身の二本柳はかつてそして現在も原のことを想っているようだ。

その日暗くなって同窓会から帰ってみると上原は新調したばかりの靴を盗まれたといって玄関先に佇んでいた。夕食の支度を頼んでおいた島崎は2階で鼻血を出して横になったままなんの用意もしていない。おまけに上原のワイシャツの腕にその鼻血がついている。原は上原に東京に行きたいとこぼす。

翌日、仕事がらみの誘いに乗って帰宅が遅くなった上原は、向かいに住む妾をしている女性(音羽久米子)の肩を借りながら泥酔して帰ってくる。上原の上着のポケットからは会社で前借りしたお金がのぞいていた。その翌日、今度は島崎が夜遅くタクシーで帰宅する。島崎は迎えに出ていた上原と甘えるように腕を組んで帰ってくる。それを見て原は玄関の戸を閉めて中に入ってしまう。

原は二本柳の実家で帰京するための金を借りて帰ってくる。家の玄関では島崎がはす向かいに母子ふたり(浦辺粂子と大泉滉)で住む大泉から恋の告白を受けている。原はそれを中断させ、島崎にもう東京へ帰ってはどうかとたしなめる。島崎はすねるようにそれに同意する。原は帰宅した上原に東京へ行くことを告げる。東京へ帰って色々なことを考えてみたいと。

原と島崎の帰京には二本柳も同行していた。

郊外にある原の実家では母(杉村春子)と妹夫婦(杉葉子と小林桂樹)が小さな衣料品店を営んでいる。原は実家でそのまま夕食の時間まで眠りこける。

翌日、職安前に来たものの、そこへ居並ぶ人々のあまりの多さにたじろぐ原。そこでかねての友人(中北千枝子)が小さな子どもを連れているのに出会う。彼女は戦争未亡人だった。女ひとりでの生活は苦しいという中北。そこへチンドン屋が通りかかる。あれ、きっと御夫婦よ、と中北。どうして?、と尋ねる原。だって動きがあんなにうまく合ってるじゃない、と中北は答える。

原は二本柳と一緒に歩いている。二本柳に勤め口を探してくれるように頼んでいる。二本柳が喉が渇いたと言い、料亭に向かう二人。ビールを飲んで二本柳との関係に満更でもなさそうな原だが自分に同情している二本柳に気づくと態度を硬化させる。

原の実家では台風が近づきつつあった。その夜、突然島崎が原の実家を尋ねてくる。父親に叱られて家を出てきたと言う。そんな島崎の態度を小林はたしなめる。

翌日、原は島崎を彼女の両親の元へ送る。帰ってみると上原が上京して実家まで来ているという。原は逃げ出す。そこで銭湯帰りの上原に声を掛けられる。走り出す原。追いかける上原。ふたりは祭りの御輿に道をふさがれ立ち止まる。同期した視線を御輿に送る原と上原。

上原は喉が渇いたと言う。近くの店に入って一緒にビールを飲むふたり。明日一緒に帰ろうかと言う上原。そうね、と答える原。

翌日、原と上原のふたりは大阪への列車の中。上原は眠りこける。



劇中およそ11日が経過するのだが、その間、原・上原・島崎・二本柳の主要な4人が4人とも東京-大阪間を往復する。大阪で上原と島崎は遊覧バスに乗り、原は同窓会に出かけ、上原はキャバレーに繰り出し、島崎は大泉と街に出かけ、原は借金に出かける。東京で原は職安に出かけ、二本柳と散歩し、島崎を家に送り届け、河畔を歩く。みんな動きまわっている。

中でも素晴らしいのは冒頭のシチュエーションだ。

朝食が用意されようとする食卓で上原謙はタバコを吸っている。その準備に忙しく立ち振る舞っていた原節子がようやく腰を下ろして匂いを気にしながら外米を盛ったその椀を受け取るそのときまで吸い続けている。めしを食べながら上原が壁に掛けられた時計が止まっていると指摘すると、運動を停止したその時計を原も見上げて「ダメねえ」と言う。

その朝食を終えてショットが変わると上原は「おはよう」と自身の勤める大阪の証券会社を闊歩している。社内を横断する移動撮影。それから上原の足下、真新しい靴のアップ。その靴を同僚に揶揄されると上原はこの靴を購入したせいでタバコも安心して吸えないとこぼしてみせる。

朝食と共にするほど上原にとってかかせないはずのタバコが、実は社内を歩いたときの靴音によって同僚にそれと気づかれてしまう新調したばかりの靴を強調するための小道具として使われている。そして靴とは歩くために履くものだ。とすると冒頭のこの時点で歩くという運動が暗に提示されていることになる。

その頃原は自宅の玄関前で、はす向かいに住む浦辺粂子と話をしている。その上原と原の住む長屋のような住まいのある場所はそこ以外のまわりの地所から1メートルばかし低いところにある。つまりそこだけ窪地のようになっている。だから長屋のあるその窪地から外界に出るために5段ほどの階段が設けられている。朝ともなれば小学生や会社員がその階段を上って外へ出て行く光景が描かれる。

美術の中古智によるこのオープンセットは素晴らしいものだが、この構造は窪地から外へ出るためのその小さな階段を設けるために選ばれたと考えることができる。歩行という行為を描くのに階段を上り下りするときのそれほど歩行のもつ機能美を記号的に提示できるものはないからだ。だからその階段を上ってから小学生は転ばねばならず会社員は忘れた弁当をそこで受け取ることになる。

その自宅前で玄関を掃除していた原は息子の大泉滉をともなって出てきた浦辺と話している。そこへ原の向かいに住む田中春男の妾・音羽久米子が出てきてふたりに軽く挨拶する。音羽はそれから階段を上がっていた大泉にも言葉をかけてから路地へ歩み去る。その音羽と入れ違うように路地からやって来るのが上原の姪の島崎雪子だ。島崎は声を掛けてきた大泉に上原の家の在処を尋ね、大泉は大声で原を呼ぶ。振り返った原を認めた島崎は窪地へと階段を下りてゆく。出て行こうとする浦辺と擦れ違う。島崎に見とれて階段半ばまで降りていた大泉は浦辺に促されて振り返ると階段でけつまづく。

この玄関先のシチュエーションは見事なものだがその見事さは自然な会話で新たに登場した4人すべてを観客に紹介してしまう手口の鮮やかさとともにそれが歩行によって始まり歩行によって完結する運動性によることは明かだろう。

上原は社内を歩くことによって同僚に新調した靴を発見される。二階の窓から上原の帰宅を待ちわびる島崎の目に上原が歩いてくるのが見える。上原はその後も妾の音羽の肩を借りて歩いてくるところと島崎と腕を組んで歩くところを原に目撃される。大阪での上原は常に歩くところを誰かに見られる対象だ。東京では逆に目の前を歩いて通り過ぎる原に上原が声を掛ける。


類い希なほどに導入されたこれら数々の運動を取り仕切っているのは繰り返される反復と対称の構造にある。

まず窪地にある上原と原、島崎、浦辺と大泉、音羽らが住まう長屋の対称。

妻=原と娘=島崎の住む長屋に対してその向かいの長屋には母=浦辺と妾=音羽が住んでいる。原に子がなく浦辺に夫のない(らしい)ことでそれらの役柄は単純に仕訳される。そしてこれらの役柄には女の担いうる社会的役割のほぼすべてがある。

そして浦辺の息子である大泉が島崎にバラを送り、妾の音羽が原の夫・上原に秋波を送る。それらの関係の中にない原と浦辺の仲がいいのは故がないのではない。食材を買ってきた帰り、浦辺が原に「夫いじめに子いじめ。女の一生で威張っていられるのは娘の間だけですなあ」とこぼすのはこの点にある。妾は永遠の娘であると言って良ければだが。

原の運動は島崎によってもたらされる反復。

島崎が大阪に来て最初の頃のセリフによって周囲の反対を押し切って上原と結婚したふたりを島崎はうらやましく思っていたことと当時原が三味線をよく奏でていたことが知らされる。その後原ははっきりと上原に嫌気をもつようになり三味線は借金の形としてあちこちに持ち運ばれることになる。

なにより島崎の来阪により原は大阪を去り東京に行くのであり、今度はその東京の実家に島崎がやって来ると原は上原と共に大阪に帰ることになる。

もう少し詳しく言えば、大阪で島崎と上原がデートのような大阪遊覧をすること、そしてその後ほのかに抱いていた上原への恋心を告白すること(すぐにその断念をも告白するが)で原は東京へ行き、東京では島崎が二本柳と江ノ島でデートし、二本柳と結婚すると告白することで原は大阪へ帰るのだ。

大阪で原が同窓会に出席する日もその同窓会通知のはがきを読んでいる島崎の全身アップによって始まったではないか。(ちなみにこのときのはがきを朗読する島崎の姿はとても美しい!この劇中最高に美しい場面だ)


その他にもあちらこちらに見いだすことのできる反復と対称の構造は一見無秩序な運動の集まりに秩序と法則を直観させる。そうした秩序と法則の直観がこの作品に静謐と完成度を与えていた。


しかし実は『めし』的な作品だけが成瀬の魅力ではまったくないのだ。
恐るべし!成瀬巳喜男!

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